少し年下の友人たちへ。
日々、勉強や部活動、友人との交流など、高校生の皆さんは忙しい毎日を送っていることと思います。15~18歳の時期といえば、自分の将来について、これまで以上に真剣に考え始める時期ですよね。どんな大学に進学しようか、どんな仕事に就きたいか、そして、どんな大人になりたいか。期待とともに、少し不安な気持ちもあるかもしれません。
この記事を書いている私も、だいたい2年くらい前までは、みなさんと同じ高校生でした。高校を卒業した後、イギリスの大学に進学し、日本にいた頃とは様々な価値観が変わったように思います。今は本当に変化の激しい時代です。2年前の常識は今の非常識と言っても過言ではないと思います。それを象徴するのが、昨今のAIの発展や、トランプに代表される、国際関係の価値観の変化だと私は考えています。
この記事では、2年前の自分、そして今高校生として学んでいるみなさんにあてて、私が高校を卒業してからの1年間でみてきた世界や考えてきたことををご紹介します。
加えて、同じ志を持つ人たちや、その近しい方々(親、先生)に向けての、ちょっとしたアドバイスを交えてみました。こんな先の見えない時代だからこそ、大切になるのが、自分自身で考え、進むべき道を見つけ出す力です。周りの情報に流されるのではなく、しっかりと自分の足で立ち、未来を見据えるための「羅針盤」が必要になります。
少し長くなりますが、皆さんの未来に関わる大切な話ですので、ぜひ最後までお付き合いください。

目次
- 少し年下の友人たちへ。
- AIはもう隣にいる。変化の大きさに気づこう。
- 大人の言うことは絶対?変化の速さと経験のズレ
- 世の中の変化のスピードが、もはや追いつけないほど加速しているという現実
- AIの進化と社会の行方。中央集権化への懸念、Plurality、そして「人間」であることの価値
- グローバルな視点と日本の強み。二元論を超えて。
AIはもう隣にいる。変化の大きさに気づこう。
AIは、もはや遠い未来の話ではなく、私たちの生活のすぐ隣にある、身近な存在になっています。ChatGPT-3.5がリリースされたのは2022年のことでした。当初、まだダサいGUIとハルシネーションだらけのChatGPTは、一部のAIオタクを除けば、普通の人たちにとっては「すごい時代になったなあ」という程度に感じるだけのもので、面白さは格段にあったけれども、これをどう使えばいいのかわからないし、だいたい実用に使える安定性ではありませんでした。しかし、未来の蓋を開けてみれば、AIの破壊的な発展は、2022年以前の人からすれば到底信じられない結果をもたらしています。ここでその発展について詳述することはしませんが、とにかく、AIを使わない、AIを使えない、という人にはもはや先はないと私は考えています。なぜなら、AIを効果的に使える人とそうでない人で、生産性に著しい隔たりがあるからです。
例えばこの記事も、半分ほどはGemini 2.5 Proが書いています。それを人間である私が修正しているわけです。この記事を一から書こうと思うと、最低でも3時間ほどはかかってしまうと思いますが、LLMを使えば1時間で書き終えることが可能です。
でも、AIの本当のすごさは、便利な道具というだけではありません。AIは、社会全体の仕組みを変えるほどの力を持っています。例えば、これまで人間が行ってきた仕事の一部をAIが担うようになるかもしれません。そうなると、皆さんが将来どんな仕事に就き、どんなスキルを身につけるべきか、ということにも大きく関わってきます。
これは、大げさな話ではなく、歴史の教科書に出てくる産業革命や、皆さんが生まれた時から当たり前にあるインターネットの登場と同じくらい、あるいはそれ以上に大きな変化の始まりに相当します。トーマス・クーンが唱えた「パラダイム」という概念をご存知でしょうか?コペルニクスが地動説を提唱し、ガリレオが天体観測でそれを実証した前と後の世界では、異なるパラダイムが存在します。要は、世界の価値観=世界モデルが根底から覆る瞬間というのが、人類史にはあるのです。
今のAIの力というのは、確実にそういった変化を社会にもたらします。
だから、AIについて知ることは、これからの時代を生きていく皆さんにとって、とても大切なことなのです。難しく考える必要はありません。まずは、「AIってなんだろう?」「私たちの未来にどう関わってくるんだろう?」と、関心を持つことから始めてみませんか。
大人の言うことは絶対?変化の速さと経験のズレ
ここで、少し皆さんに考えてみてほしいことがあります。皆さんの周りにいる大人たち、例えばご両親や学校の先生方は、このAI時代がもたらす変化の速さや大きさを、どれくらい理解しているでしょうか。
もちろん、大人たちは皆さんのことを想い、自分の経験に基づいて、たくさんのアドバイスをしてくれます。それはとてもありがたいことですし、学ぶべき点もたくさんあります。
ただ、一つだけ心に留めておいてほしいのは、そういった大人たちの経験や現状分析が、必ずしもこれからの時代に通用するとは限らない、ということです。なぜなら、社会の変化があまりにも速すぎることにより、過去の成功体験や常識が、あっという間に古くなってしまう可能性があるからです。
よく、現代の価値観の変化の一例として「良い大学に入って、大きな会社に就職すれば、将来は安泰だ」という考え方を否定し、「学歴偏重主義」を非難する価値観がこう言った文脈では紹介されます。
しかし、実はこういった価値観は昭和の時代から提唱されてきたものです。SONYグループの創業者の一人、盛田昭夫氏は『学歴無用論』という本を1966年に出版しています。書かれている内容は、現代の学歴に対する価値観の変容と同じものです。つまり、学歴が個人の能力を決定的に測るものではない、という意見です。
ここで考えていただきたいのは、60年ほど前から言われてきた意見というものが、この令和の2025年になっても未だ唱え続けられているという事実です。なぜ、このような意見が未だ人口に膾炙する「途上」にあるのかというと、それは学歴に対する価値観が60年代から碌に進化していないからです。学歴というものが、大学の名前を意味する古いパラダイムはすでに死滅しつつあるというのに、日本では未だに「大学の名前」を重点に置いた学歴主義への批判が行われています。これは極めて危機的な状況にあると私は考えます。イギリスでは、もはや博士(Dr.)の学位を持った人間でも、学位だけで研究職を得ることが難しくなってきています。追加で違う分野の修士を持っていたり、実務経験(業種によりますが)を持っていることで、ようやくキャリアに付加価値がつき、研究職や教授職のポストをゲットできるわけです。おそらくこういった状況は、日本でも同じなのではないでしょうか。
何が言いたいかというと、大学院に行くことがキャリアの大前提になっているということです。特に理系の研究者では院はマストでしょうし、文系でも修士を二つ取ってから就職する、というのが増えてきていると思います。あくまで私が様々な人と会ってきた中での話ですが、本当により良いキャリアを積みたければ、複数の専門領域で修士(博士)レベルの知識を持ち合わせていないと、一流企業や高収入の場には到達できないよね、というのがヨーロッパの学生の共通見解だと思います。
これはアジアでも同じです。韓国や中国の就職難はご存知の通りですが、ものすごく競争率の高い労働市場が形成された結果、韓国人のトップ層は学歴インフレを起こしつつあります。博士を持っていても企業の研究所や大学の研究機関には就職できない。そればかりか、非研究職の場においても就職が難しいという現状は、韓国人の若者に強い国際志向を生み出しています。事実、イギリスの大学には多くの韓国人が入学してきています。そのほとんどが、奨学金ではなく完全な私費留学です。私がベルリンで出会ったソウル大学の博士課程の学生によれば、韓国の研究所は高い資金力を持っているけれども、まず人を雇うポストが不足しており、韓国の社会構造に異を唱えて海外に出る学生も多いということです。その彼も、ベルリンで何をしていたかと言えば、ポスドクができる研究所をヨーロッパ各国で探していて、ドイツでチャンスを掴もうと数週間かけて欧州視察に来ていたのでした。3~4年間で3500万円ほどかかる留学が可能である資金力、そして高い英語力を持つ韓国人と比べれば、日本の平均的な学生の国際的なプレゼンスはかなり低いと言わざるを得ません。だいたい本当のところを言えば、英語はできて当たり前なので、それ以外の第二言語も話せた方がいいと思います。(ここは私も最近反省しています。)


こう言った現状は、私の感覚では日本の一般的な高校ではあまり理解されていないように感じます。しかし、上記のような現状を理解しないまま、日本のガラパゴス化した学生市場に足を踏み入れてしまえば、待っているのは最悪の未来です。イノベーションどころか、国際的な競争力を完全に喪失した日本国は、超高齢社会、少子化、地球温暖化といった要因に引きづり込まれて、完全に「置いていかれ」ます。多数の国民が餓死する未来も、私はあり得ないことではないと思います。
一方で、悲観的な話ばかり話していては、意味がありません。こういった現状を理解し、社会の価値観を変容した上で、改善と改革を続けていけば、日本は80年代のような圧倒的な国際競争力を取り戻すことができると私は考えます。こういった情報はなかなか受け身の姿勢では掴んでくることができません。というか、大事なのは情報そのものではなく、そこにまとわりついている価値観とか「雰囲気」です。それは、自分から意識して人に出会い、情報を探すことでしか得ることができません。
最終的に自分の道を決めるのは、他の誰でもない、皆さん自身です。そのためには、色々な情報を集め、自分で判断する力を養う必要があります。
世の中の変化のスピードが、もはや追いつけないほど加速しているという現実
大人たちの経験則が必ずしも通用しない可能性がある、という話をしました。その最大の理由は、現代社会の変化のスピードが、もはや尋常ではないレベルに達しているからです。皆さんは「ムーアの法則」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? これは、半導体の性能が約2年で2倍になる、という経験則で、コンピューターの進化を象徴するものとしてよく引用されます。まさに、技術の進歩が「どんどん速くなる」指数関数的な変化を示している例です。
この指数関数的な変化というのは、最初はゆっくりに見えても、ある時点から爆発的に加速するのが特徴です。1が2に、2が4に、4が8にと倍々で増えていくイメージですね。
これは技術に限ったことではありません。資本主義社会における資本の発展は、まさにこの指数関数的なカーブを描いていると、多くの専門家が指摘しています。
PayPalを創業した著名な起業家であり投資家でもあるピーター・ティールは、その著書『ZERO to ONE』の中でこう書きます。
実際にベンチャーキャピタルから資金を調達できるのは、アメリカで毎年生まれる新規企業の一パーセントにも満たないし、ベンチャーキャピタル投資の総額はGDPの〇・二パーセント未満だ。それでも、こうした投資の果実は経済全体を前進させるほどの大きな影響を持つ。ベンチャーキャピタルが支援する企業は、民間雇用の一一パーセントを創出している。これらの企業が生み出す収入はGDPの二一パーセントにも上る。事実、規模上位のテクノロジー企業一二社には、いずれもベンチャーキャピタルの資本が入っている。この一二社を合わせると、企業価値は一兆ドルを超える。つまり、その他すべてのテクノロジー企業の合計よりも大きな価値を持つということだ。
ピーター・ティール; ブレイク・マスターズ. ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか (Japanese Edition) (pp. 143-144). (Function). Kindle Edition.
その結果何が起こるかというと、「2年前の常識は今の非常識」というような事態が、あらゆる分野で頻発するようになります。例えば、AIエージェントという技術に注目してみましょう。Manus(マヌス)やDevin(デヴィン)といったAIエージェントは、人間がコンピューター上で行う複雑な作業、例えばソフトウェア開発やリサーチ、データ分析などを、自律的にこなす能力を示し始めています。
AIエージェントとはなんでしょうか。様々な定義がありますが、代表的な定義をご紹介します。
エージェントとは単に行動する主体のことである。しかし、コンピュータエージェントの場合においては、自律動作、環境認識、長期の持続性、変化への対応、他者の目標代行など、単なる〝プログラム〟とは異なる属性が期待される。
スチュワート・ラッセル『エージェントアプローチ 人工知能』(共立出版、第2版、2008年)
まさに知性のカンブリア爆発です。ほんの1、2年前にはSFの世界だったようなことが、現実になりつつあるのです。これは、特定のスキルを持った人間の仕事が、近い将来AIに置き換えられる可能性を示唆しています。皆さんが今、学校で学んでいる知識やスキルも、卒業する頃にはもう古いものになっている、という可能性が十分にあり得るわけです。
正直なところ、この変化のスピードに、国の行政や、皆さんが通っている学校の教育システムが完全に対応していくことは、極めて難しいと私は考えています。制度やカリキュラムを変えるには時間がかかりますし、変化そのものが速すぎて、対応は追いつきません。それは「やったもん勝ち」、つまり、いち早く新しい技術や変化に適応し、行動を起こした人が圧倒的に有利になる社会形態が加速する、ということです。周りがどうするか様子を見ている間に、新しいツールを使いこなし、新しいスキルを身につけ、何かを実際に「やってみた」人が、どんどん先に行ってしまう。逆に言えば、変化の波に乗れず、行動を起こさなければ、本当に一瞬で時代に取り残されてしまうリスクがあるのです。これは脅しではなく、指数関数的な変化がもたらす必然的な結果です。
さらにもっと大きな視点で見れば、世界のイデオロギーも、その位置するところが大きく変わろうとしています。20世紀のイデオロギーが石油などのエネルギー資源、あるいはオイルマネーに支えられていたとすれば、21世紀のそれは、間違いなく先端技術、特にweb3や、量子技術、ディープテックと呼ばれるような領域に裏付けされていくことが考えられます。量子コンピューター、NTTが進める次世代光通信網IOWN、遺伝子工学や合成生物学といった分野は、エネルギー問題、食糧問題、医療問題といった人類規模の課題を解決し、社会のあり方を根底から変えるポテンシャルを秘めています。これらの技術を制する国や企業が、次の時代の世界の主導権を握ることになる可能性が高いのです。
皆さんが将来、どんな分野に進むにせよ、こうした技術の動向と、それがもたらす社会の変化を理解しておくことは、自分の未来を考える上で、避けては通れない重要な要素になるはずです。
AIの進化と社会の行方。中央集権化への懸念、Plurality、そして「人間」であることの価値
AIが私たちの社会に革命的な変化をもたらす力を持っていることは、これまでお話ししてきた通りです。しかし、その強大な力が、一部の巨大企業や国家に集中してしまうのではないか、という懸念も生まれています。皆さんもGAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)といった巨大プラットフォーム企業が、私たちの生活にどれほど大きな影響力を持っているかは感じていることと思います。
この巨大プラットフォーム企業の影響力について、東南アジアを中心としたVCを運営する蛯原健氏は、著書『テクノロジー思考――技術の価値を理解するための「現代の教養」』の中で、特に広告ビジネスにおける彼らの強さを指摘しています。例えばFacebook(現Meta社)について、「結局のところフェイスブックは世界で最も費用対効果が高い広告商品である。それも2位以下と段違いで高い。マーケターなら誰でも知っている事実である」と述べています。なぜ彼らがこれほど広告ビジネスで覇権を握っているのか。それは、彼らが私たちの行動や興味に関する膨大な個人データを徹底的に収集・販売・活用しているからです。
蛯原氏は、プラットフォーマーの特性を「データを収集するほどにサービスの精度が上がる。精度が上がれば当然利便性が上がるためそれがユーザをますます惹きつけ、ゆえにさらにたくさんのデータを彼らが落としていくという相乗効果でもって雪だるま式に規模拡大していく」と説明しています。つまり、私たちが彼らのサービスを使えば使うほど、彼らはより多くのデータを手に入れ、そのデータを使ってサービスの魅力を高め、さらに多くのユーザーとデータを集める、という循環が生まれるのです。
そして、こうして集められた膨大なデータは、個人の趣味嗜好、行動パターン、人間関係まで詳細に分析することを可能にします。その結果、プラットフォーマーは、私たち一人ひとりに最適化された、極めて効果の高いターゲティング広告を配信できるようになります。広告を出す企業からすれば、これほど効率的に「買ってくれそうな人」に情報を届けられる手段は他にありません。だからこそ、広告費はますますこれらのプラットフォームに集中し、彼らの経済力と社会への影響力はさらに強大になっていくのです。
AIの開発には、こうした大量のデータと、それを処理するための莫大な計算資源が必要となります。そのため、既に巨大なデータと資本を持つこれらのプラットフォーム企業が、AI開発においても優位に立ち、インターネットの世界、ひいては社会全体がより「中央集権的」になっていきます。情報が一部に集まり、コントロールされる社会は、自由な競争や新しいイノベーションの芽を摘み取り、私たちの見るもの、聞くもの、そして考えることまで、間接的に影響を与え、私たちの選択肢を狭めてしまうかもしれないのです。こうした中央集権化の流れに対抗するように、「de-centerize(分散化)」という考え方も重要性を増しています。これは、特定の管理者を置かず、個々人が直接繋がり合い、情報をコントロールする権利をユーザー自身に取り戻そうとする動きです。ブロックチェーン技術やP2P(ピアツーピア)ネットワークなどがその代表例で、より自由で、検閲されにくいインターネットのあり方を目指しています。
ちなみに、この中央集権化と分散化という二つの動きの中で、台湾の元デジタル担当大臣であるオードリー・タン氏とMicrosoftリサーチのエコノミストであるグレン・ワイル氏が提唱しているのが「Plurality(プルラリティ)」という考え方があります。これは、2024年に出版された書籍 『Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy』で詳しく述べられていますが、簡単に言えば、多様な価値観を尊重しながら、デジタル民主主義を可能にするための仕組みです。Pluralityは、単に中央集権に反対するだけでなく、多様な意見を持つ人々が、AIのような新しい技術も活用しながら、どうすればより良い合意形成をし、協力し合える社会を築けるか、という問いに答えようとしています。例えば、pol.isというツールを使って数万人規模の意見をAIが分析・要約し、市民が政策決定に参加する試みや、社会のルール(ガバナンス)そのものをオープンソース化し、誰でも改善提案できるようにする、といった具体的なアイデアが含まれています。AIの力を一部に集中させるのではなく、多くの人々がその恩恵を受け、社会をより良くするために活用していく。そのための新しい「協働のインフラ」をどう作るか、というのがPluralityの核心的な問いかけなのです。私はこのPluralityという概念が、今後の21世紀の民主主義の未来において、極めて重要な価値をもつと考えています。
さて、このように社会のあり方まで変えうるAIと、私たちはこれからどのように向き合い、共存していくべきなのでしょうか。ここで重要になるのが、AI Alignment(AIアラインメント)、AGI(汎用人工知能)、ASI(超知能) といった概念です。これらは、AIの進化の段階や、人間とAIの関係性を考える上で欠かせないキーワードとなります。
まず「AI Alignment(AIアラインメント)」についてお話しします。
Alignment is meant to reduce these risks and ensure that our AI assistants are as helpful, truthful, and transparent as possible. Alignment tries to resolve the mismatch between an LLM’s mathematical training, and the soft skills we humans expect in a conversational partner.
https://research.ibm.com/blog/what-is-alignment-ai?utm_source=chatgpt.com
AIがこれからますます強力になっていく中で、AIが私たちの意図しない、あるいは社会にとって有害な行動をとってしまわないように、どうやってコントロールし、人間社会と協調させていくか。AI研究の権威であるスチュアート・ラッセル氏が指摘するように、AIに単に「目的を達成しろ」と命令するだけでは、予期せぬ副作用を生む危険性があります(例えば「コーヒーを持ってきて」と頼んだら、最短距離で壁を突き破ってくるかもしれません)。だから、AIが人間の複雑な価値観や「空気を読む」ようなニュアンスを理解し、それに沿って行動するように設計する必要があります。そのための具体的な技術として、人間からのフィードバック(「これは良い」「これはダメ」という評価)をAIに学習させることや、AI自身に「こういう行動はすべきでない」という原則(まるで憲法のように)を学習させて自己チェックさせるConstitutional AIなどのアプローチが研究されています。AIが本当に私たちの頼れるパートナーとなるためには、このアライメントの問題を解決することが不可欠なのです。
次に「AGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)」です。これは、今のAIが特定のタスク(例えばチェスや翻訳)に特化しているのに対して、人間のように、様々な種類の知的作業をこなしたり、新しいことを学んだり、応用したりできるAIのことを指します。まるでドラえもんのような、何でも理解して助けてくれるAIを想像すると分かりやすいかもしれません。今のところ、人間のような真の「汎用性」を持つAIはまだ登場していませんが、o3のような最新の推論型LLMは、その片鱗を見せ始めています。もしAGIが実現すれば、科学研究や難病の治療など、人類が抱える大きな問題を解決する手助けになるかもしれません。しかし同時に、多くの仕事がAIに代替されたり、社会の仕組みが大きく変わったりする可能性もあり、私たちはその変化にどう備えるかを真剣に考えなければなりません。
そして、AGIのさらに先にあるかもしれないのが「ASI(Artificial Super Intelligence:人工超知能)」です。これは、科学、創造性、社会性など、あらゆる知的な側面において、人間を遥かに超える能力を持つAIのことです。もはや私たちの想像を絶する存在であり、実現が可能なのか問いこと自体、まだわかりません。もしASIが登場すれば、人類にとって計り知れない恩恵をもたらす可能性もあれば、逆に、私たちがコントロールできなくなり、存在そのものを脅かすリスク(existential risk)もあると指摘されています。SFのような話に聞こえるかもしれませんが、AIの進化のスピードを考えると、こうした未来の可能性についても、目を向けておく必要があるでしょう。
このようにAIが人間と同等か、それ以上の知的能力を持つかもしれない時代が訪れようとしている中で、私たち人間に求められるものは何でしょうか。AIが計算や分析、論理的な思考ではAIに敵わなくなるかもしれない。では、私たちに何が残るのでしょう?
私は、これからますます「人間性」や「個性」といった、AIには真似できない部分の価値が高まってくると考えています。論理や効率だけでは測れない、温かい感情、他者に共感する心、ゼロから何かを生み出す創造性、そして、皆さん一人ひとりが持っているユニークな経験や考え方、つまり「個性」です。これらは、AIがどれだけ進化しても、代替できない人間の本質的な価値ではないでしょうか。
最近、日本でもPodcastのような音声メディアが人気を集めています。なぜ多くの人がPodcastに惹かれるのか。それは、完璧に編集された情報だけでなく、話している人の「人となり」や、その場の雰囲気、時には言い淀んだり、笑ったりするような、予測不可能な「人間らしさ」に魅力を感じるからではないでしょうか。AIが生み出す最適化されたコンテンツにはない、そうした予定調和を心地よく壊してくれる「ゆらぎ」や「ノイズ」のようなものに、これからの時代、新しい価値が見出されていくのかもしれません。
AIが進化すればするほど、逆説的ですが、「人間とは何か」「自分らしさとは何か」という問いが、私たち一人ひとりにとって、より重要になってくるのだと思います。AIを恐れるのではなく、AIにはできない、自分だけの価値を見つけ、それを大切に育てていくこと。それが、変化の激しい時代を自分らしく生きていくための鍵になります。
グローバルな視点と日本の強み。二元論を超えて。
これまでの章で、AIの進化や世界の大きな変化についてお話ししてきました。そうした話を聞くと、「じゃあ、日本はダメなのか?」「やっぱり海外に出るしかないのか?」と不安に思う人もいるかもしれません。あるいは、周りの大人たちから「これからはグローバルだ!」「海外の大学に行くべきだ!」といったアドバイスを受けることもあると思います。もちろん、グローバルな視点を持つことや、海外での経験は、これからの時代を生きる上で非常に重要です。しかし、「海外か、日本か」という二者択一で物事を考えるのは、短絡的です。というのも、一口に海外といっても、その価値観は本当に国によって異なるからです。ここら辺はほとんど日本人には理解されていませんが、例えばアメリカとイギリスはかなり違う価値観の上で存在しています。話している言語が似ているだけです。
そして、必ずしも高校卒業と同時に海外の大学に進学することだけが「グローバルな道」ではないと、私は考えています。
まず皆さんに知っておいてほしいのは、日本の大学教育のレベルは、決して低くないということです。むしろ、特定の分野においては世界的に見ても高い水準にあります。特に、初等・中等教育における数学の教育レベルは、国際比較でも常にトップクラスです。これは、データサイエンスやプログラミングといった分野を学ぶ上で、大きなアドバンテージになります。もちろん、大学や学部によっては、英語での授業が少なかったり、海外の大学との連携が十分でなかったりする側面もあります。また、他国と比べると高校までの先進的なカリキュラムが、大学になって急に萎んでしまい、結果的に他国の学生に追い抜かれてしまうという現状があります。ここら辺は、自分でしっかりと補強するしかないと思います。日本の大学で基礎を固め、その上で大学院から海外を目指す、あるいは交換留学制度を積極的に利用するといった選択肢も十分に考えられます。焦って学部から海外に出なくても、グローバルな経験を積む方法はたくさんあると思います。これが私がイギリスの大学に入学して得た結論です。
そして、日本には「強み」がたくさんあります。その一つが、いわゆる「ソフトパワー」です。美味しい日本食、武道の精神、アニメや漫画といったポップカルチャー、そして近年海外でも注目されている「生き甲斐(ikigai)」という概念に代表されるような、日本人の精神性やライフスタイルは、世界中の人々を惹きつけ、日本の国際的なプレゼンスを高める上で、非常に大きな力を持っています。(一方で、これもまた中国や韓国が猛追してきているという緊張感を常に持つべきだと思います。)
一方で、このソフトパワーだけに頼っていては、ジリ貧です。真綿で首を絞められているようなものです。いくら文化が魅力的でも、それを支える経済力や技術力が伴わなければ、持続的な影響力を保つことは難しいでしょう。大切なのは、日本の持つ豊かな文化や精神性と、AIをはじめとする先端技術や新しい産業を、いかにうまく「融合」させていくか、ということです。例えば、日本の伝統工芸の技術と最新のデジタルファブリケーション技術を組み合わせることで、全く新しい価値を持つ製品を生み出せるかもしれません。あるいは、日本の「おもてなし」の精神を活かしたAIサービスが、世界を席巻する可能性だってあります。
「海外か、日本か」という単純な比較に意味はありません。海外の良いところは積極的に学び、取り入れつつ、日本の持つ独自の強みや価値を再認識し、それを世界に向けて発信していく。そして、その過程で、皆さん一人ひとりが「自分だけの価値」を見出し、磨いていくこと。それが、これからの変化の激しい時代を、しなやかに、そして力強く生きていくための道筋なのではないでしょうか。日本の良さを内側から理解し、それをグローバルな文脈でどう活かせるかを考える。そんな視点を持つことが、皆さん自身の可能性を大きく広げることに繋がるはずです。

いかがでしたでしょうか。
自分が高校生だった時に、知りたかったことを、読者の皆さんにお伝えできたのであれば嬉しいです。いろんなことに日々接すると思います。周囲の視線、受験の不安、暗い未来。こうしたものと一生戦っていかなければならないのが、われわれの人生です。ここで大事になってくることは、最大限の自信だと思います。自信さえ持っていれば、謙虚になれます。努力もできます。常に「なんとかなる」と確信して、高い目標を打ち立てていってください。大丈夫です。あなたの夢は絶対に叶います。中学生の頃、私の夢は外交官になることでした。それで、いつか海外の大学に行ければいいなあと思っていたら、本当にできたのです。そして、今はさらに大きな目標のために日本に戻る予定です。
皆さんが、よりよい将来を掴むことをお祈りしております。
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